光陽1丁目にある天保の飢饉・地蔵堂の傷みが激しいため、福井市内の建設会社が9月4日(金)にボランティアで応急措置をしていただきました。江戸時代の後期、天保7年(1836)と翌8年にかけて福井藩領では天候不順による大凶作と天然痘の大流行で、領内人口の約3分の1に当たる6万人もの人が餓死、病死したといわれます。その供養のために地蔵堂が建てられ、中に笏谷石製の阿弥陀如来像が安置され、地元の人達によって管理されています。
現在の地蔵堂は昭和49年(1974)に建てられ、長さ約3.6mの方形で高さ約4mの木造。台風や降雪期に備えて、右側に傾いているのを建設会社の従業員がジャッキで持ち上げて傾きを直し、4つの壁面に筋交いを入れて補修しました。建設会社の社長は「こうした史跡を大切に保存するため応急措置をさせてもらったが、早急に柱や外壁、屋根の修復が必要」と話していました。