[05] 大瀧神社・岡太(おかもと)神社

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☆ 説明の末尾に「(配付説明書)」とあるものは、田島氏(みなと塾)が作成し、当日参加者に配布された解説パンフレットから引用しているものです。

大瀧神社・岡太神社  福井県越前市大滝町23−10
 伝承によれば養老3年(719)、この地を訪れた泰澄が国常立尊(くにたちのみこと)、伊弉諾尊を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧児(おおちご)権現を建立したという。 後に神仏分離令により、大瀧神社となった。

 大瀧神社・岡太神社は越前市大滝町にある神社で、上宮(奥の院)には、大瀧、岡太両神社の本殿が並んで建つが、下宮(里宮)の本殿、拝殿は両神社の共有となっていることから二つの神社の名前が併記される。 国の重要文化財指定名称は、「大瀧神社」である。

 岡太神社については、約1500年前、岡本川上流に美しい比米が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。
 この伝説の姫「川上御前」を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社である。 延元2年(1337)、足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の祭神を大瀧神社の相殿に祀った。
 大正12年(1923)、大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊が奉祀され、岡太神社は名実共に全国紙業界の総鎮守となった。

 神社の格としては大瀧神社の方が上であるが、住民達が崇拝してきたのは川上御前であったため「大瀧神社・岡太神社」と並記していると考えられている。  
(配付説明書)

【参 考】

11:39-12:04 大瀧神社・岡太(おかもと)神社