[03] 武田耕雲斎等墓と松原神社

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☆ 説明の末尾に「(配付説明書)」とあるものは、田島氏(みなと塾)が作成し、当日参加者に配布された解説パンフレットから引用しているものです。

武田耕雲斎等墓

武田耕雲斎 ウィキペディア
慶応元年(1864年)には藤田小四郎(藤田東湖の四男)が天狗党を率いて挙兵してしまう。耕雲斎は小四郎に早まった行動であると諌めたが、小四郎は斉昭時代の功臣である耕雲斎に天狗党の首領になってくれるように要請する。耕雲斎は初め拒絶していたが、小四郎の熱望に負けて止む無く首領となった。

松原神社

松原神社 (敦賀市) ウィキペディア
明治7年(1874年)11月に水戸の人、根本弥七朗が天狗党員の墓地付近に祀殿を創建し、大正4年(1915年)11月に現在地に社殿を構えて遷座、昭和29年(1954年)、天狗党員が監禁されていた鰊蔵が境内に移築され、水戸烈士記念館となる。

【参考リンク】