[07] 福井藩三国湊の川口御番所跡、港銭取立所跡、思案橋、出村町並み、永正寺
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☆ ここで使用している説明文は、牧田氏(みなと塾)が作成し、当日参加者に配布された解説パンフレットから引用しているものです。
福井藩三国湊の川口御番所跡
正保元年(1644)町端から丸岡藩滝谷出村との地境の現在地に移転。口留御番所ともいわれ、福井藩が三国湊に出入りする貨物を監視するために置く。
出入りの貨物には種類により銀高に口銭一分から三分を課して、三国湊の港湾機能に関わる特権を独占した。文久元年(1861)には地境の川端へ建替えられた。
道筋の風景
かぐら建て
三国名物酒まんじゅうの由来
三国名物酒まんじゅうの由来
三国名物酒まんじゅうの由来
川口御番所跡
川口御番所跡説明
川口御番所跡説明
川口御番所跡説明
港銭取立所跡
三国湊出入りの船に、賦課された口銭を取り立てた役所跡。
港銭取立所跡
港銭取立所跡
思案橋
かっての出村遊郭の入り口にあり、川上の福井藩三国湊と川下の丸岡藩滝谷出村の境目だった所。遊郭に行こうか帰ろうか思案した所=「思案橋」と呼ばれてます。
思案橋
思案橋
思案橋
思案橋
思案橋
出村町並み
遊郭の面影を色濃く感じられ風情のある町並みが残っています。高濱虚子、室生犀星、中野重治等の詩人・俳人が訪問。往時は芝居小屋「三國座」があった。
道筋の風景
ぶらさげ雛
哥川 三国詩歌文学館
出村町並み
出村町並み
出村町並み
永正寺(真宗大谷派)
江戸時代の女流俳人であり遊女、後に遊郭の楼主となった「哥川」の菩提寺としてしられる。永正寺には哥川直筆の俳句や手紙・肖像画・哥川の打掛にて制作した衝立・その他高濱虚子ら著名俳人の作品など遺品遺作が残っています。
文久3年(1863)8月、横井小楠が来寺し墨跡「山紫水明」を残すと伝わる。
永正寺
永正寺説明
永正寺
永正寺説明
永正寺
哥川の墓
俳人哥川の菩提寺
俳人哥川の墓
俳人哥川の墓
釋 妙秀[母] 妙春[哥川]
釋 妙秀[母] 妙春[哥川] 参考:
哥川年表