[07]東別院 真宗大谷派福井別院本瑞寺
2.0 map/sub7.html を元に、レスポンシブ化を主体に作成、「参考リンク」を追加
※ 写真をクリックすると,拡大表示となります。 拡大表示された画像の上でもう一度クリックすると元に戻ります。
※ 最大画像を表示したい場合は、右下に表示される「
」をクリックしてください。
※ 表示された画像はマウスのドラッグで移動できます。画像の上でクリックすると元の画像に戻ります。
[07]東別院 真宗大谷派福井別院本瑞寺
[07]東別院 真宗大谷派福井別院本瑞寺
名称 福井別院本瑞寺,本寺 京都市真宗本廟(ほんびょう)東本願寺,本尊 阿弥陀如来,慶長6年(1601)結城秀康建立,明治9年真宗大谷派福井別院となる。
通常東別院といわれている。
【
以前の『ホームページ(2006)』における『地区案内』での説明を読む/たたむ】
福井市花月1丁目にあり,ふつうは東別院・東御坊(ひがしごぼう)と呼んでいます。
蓮如というお坊さんが,金津の吉崎にお寺を開いてから信者が増えてきました。
北の庄(現在の福井)の信者達により,1600年頃,北の総坊と呼ばれる建物ができました。
その後,何回か焼失しましたが,大正9年(1920)立派なお寺が完成しました。
しかし,昭和20年(1945)福井大空襲により,焼失しました。
当時の東別院は境内の広いお寺でした。芦原街道はありませんでした。
今の社会福祉 会館や文化会館の場所も,東別院の境内でした。
現在の本堂は昭和44年(1967)に鉄筋コンクリート造りで間口34m,奥行き45mで一部3階立てです。京都の本願寺よりつかわされる輪番がお寺の運営をします。
参考リンク
-
-
『慶長六年、結城秀康が北庄に入部すると、結城引越の本瑞寺にこの北庄総坊を合わせて城下常盤町に寺地二九一二坪を寄進し堂宇を建立させ、翌七年にこれを「東之御坊本瑞寺」と称した。ここに東派の末寺総触頭としての東御堂(東御坊)が成立する。』
福井県福井市花月1-2-36 ◆ Google ストリートビュー(別タブで表示され、史跡附近の風景を見ることができます)