[06]天台宗西山光照寺 福井大仏
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[06]天台宗西山光照寺 福井大仏
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[06]天台宗西山光照寺 福井大仏
福井大仏観音
昔は一乗谷にあって朝倉一族の厚い加護を受けていた。慶長11年(1606)結城秀康が一乗谷より移し寺社奉行直轄寺院となる。今は福井大仏として親しまれている。
【
以前の『ホームページ(2006)』における『地区案内』での説明を読む/たたむ】
光照時は一乗谷中島というところから福井に移ってきた寺です。
また、光照寺と一緒に移ってきた寺のひとつに全竜寺という寺がありました。
その寺に一乗谷から出土した像が石大仏として知られていました。
その石大仏も第二次世界大戦のため昭和20年(1945)7月19日に焼失しました。
福井大仏は、昭和31年(1956)に石を金銅に変えて再現した像です。
参考リンク
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『「大仏観音」という名称は何であろう。……それは、1560年頃、朝倉家の城下町一乗谷に弘法大師作と言い伝えられる聖観音像を胎内に蔵めた大仏様が建立された事に始まる。
その後、この大仏様は、朝倉家滅亡の際に兵火で焼失したが、観音様は事なきをえ、現在の地へ光照寺とともに移転し大仏様も再建された。それが、元禄4年(1691年)である。
その後、安政元年の大火で焼失・・・再建立
その後、明治35年の大火で焼失・・・再建立
その後、福井大空襲と福井大地震で崩壊・・・昭和33年に再建立
この度重なる災禍に、胎内の観音様はその都度難を免れられて来たので、台座に安置して、諸霊冥福と家郷安泰を祈念したことから、大仏観音と呼ばれている。』
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福井県福井市花月1-1-26 ◆ Google ストリートビュー(別タブで表示され、史跡附近の風景を見ることができます)