[29]本多飛騨下屋敷跡(2800石)
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[29]本多飛騨下屋敷跡
福井藩の家老(高知席)の別邸である。(現在の恵光寺一帯が該当する。)
参考リンク
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『本多 成重(ほんだ なりしげ、元亀3年(1572年)- 正保4年6月23日(1647年7月25日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。越前丸岡藩の初代藩主。徳川氏の家臣。本多重次の長男。母は鳥居忠吉の娘。正室は土岐定政の娘。子に本多重能(長男)、本多重看(次男)、本多重良(三男)、本多重方(四男)、娘(越前松平直良正室)。幼名は仙千代。通称は丹下または次郎大夫。官位は飛騨守、従五位下。』
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『…幼名は仙千代で、父・重次が天正3年(1575年)の長篠の戦いの陣中から妻に宛てた手紙として知られる、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」のお仙である。』
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(図上の「八幡宮」付近に「本多下」と記されている。)
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『・本多飛騨家(本多成重の五男重方が初代)
・本多修理家(本多富正の次男正房が初代。本多敬義等。)』
福井県福井市照手4-3/8/9 ◆ Google ストリートビュー(別タブで表示され、史跡附近の風景を見ることができます)